日本の宗教史のなかで、修験道は、永い間異端の存在であった、異端というよりも、明治時代以降の宗教を抽にした、日本の仏教史編集のなかで、修験道は独立した流れさえ認められていない、なぜ一宗として認められなかったか。 修験道は、人間と自然との饗応、命の響きあいの中に、練り上げて来た宗教だから、人間は水と樹木のある自然との中で生かされている、この単純明快な認識を根底に置く宗教が修験道だともいえる。 日本の仏教史に登場する天台宗や真言宗。あるいは浄土宗や浄土真宗・臨済宗・ |
大先達赤井熊五郎がみなさんと一緒に西国三十三箇所・熊野曼荼羅(まんだら)をめぐります。
日本の宗教史のなかで、修験道は、永い間異端の存在であった、異端というよりも、明治時代以降の宗教を抽にした、日本の仏教史編集のなかで、修験道は独立した流れさえ認められていない、なぜ一宗として認められなかったか。 修験道は、人間と自然との饗応、命の響きあいの中に、練り上げて来た宗教だから、人間は水と樹木のある自然との中で生かされている、この単純明快な認識を根底に置く宗教が修験道だともいえる。 日本の仏教史に登場する天台宗や真言宗。あるいは浄土宗や浄土真宗・臨済宗・ |