弘法大師の熊野での伝説1


空海は、若い頃から山岳修行に明け暮れた高野、大峰、熊野、葛城の荒行に耐える体力を持っていた、空海は、生涯を通じた、精力的な行動や、今に残る肖像画などを見ても、かなりの健康体であったと思う。その彼の肉体を蝕んだ病は、何だったのか、記録によれば「よう」(ホームページで表示できない文字です)であったとされる。
「よう」とは悪性の腫れ物で、空海は頭部にこれができていたらしい、同時に、肝臓障害と診断できる症状にも悩まされていたといわれる。
こうした症状の原因として考えられるのは、水銀中毒である、空海が入定の地と定めた高野山が、水銀鉱床の山であり、水銀は、現在考えられる以上に古代では、有用な物資であった、天然の水銀は硫黄との化合物、硫化水銀というかたちで産出される、これを一名「朱砂」(しゅさ)とよばれるように、鮮やかな朱色をしているので、はるか昔から顔料として用いられ、とくに平城京や平安京では、寺院の建築、仏像の製作などに不可欠だった、ことはよく知られている。また、水銀の殺菌力、防腐効果も早くから注目され、いわゆる「即身仏」
として知られる高僧のミイラには、水銀を用いた防腐処置がほどこされていた。
それだけではない、水銀は実際に「黄金を産む」こともできた。というのも、朱砂を精錬することが比較的容易に出来るからである(アマルガム精錬)
このようなわけで、高野山の水銀鉱床は、空海の宗門経営を支える重要な経済的支柱となったと思える。
この煉丹術とは、道教の世界の仙人道、熊野の仙人役行者などの山の民の丹薬などの仙薬(一転丹、と呼ばれる一段階目の丹薬ですから、これを服用すれば七日で仙人となり、火にかければ黄金と化すといわれた。)
このため中国では、古くから権力者たちが競って丹薬または朱砂を求めたのである。空海が訪れた唐でも、歴代皇帝のほとんどがこれを服用していた。
中国で、硫化水銀の毒性が認識されるようになったのは、ようやく13世紀宋代の末期になってからのことである。空海ほどの天才といえども、それが恐ろしい副作用を生むことになろうとは、想像もしなかったのだろう。
また朱砂には、いわゆる向精神的作用も認められる、服用すれば頭が冴えて軽くなるという、そのため空海は瞑想を深める目的で使用したのではないかと推察できる。
空海の体を蝕んだのは、水銀だけでない、「五石散」と呼ばれる薬物がある、
石鐘乳(せきしょうにゅう)石硫黄(せきいおう)白石英(はくせきえい)
紫石英(しせきえい)赤石脂(せきせきし)の五つの鉱物を主成分とし、さらに劇薬の砒素も含有していたらしい。五石散の作用は今日でいう覚醒剤に似ており、精神を快活にし、頭を冴えさせ、長時間高揚した精神状態を持続させる
という、むろん砒素をふくんでいる、危険な副作用など当時の中国全土で認識などされていなかった。