平維盛物語


 平氏には、もう一人、死を思い定めて熊野詣でをした人物がいる。
重盛の嫡男で、清盛の孫にあたる、3位中将維盛だ。嫡系だから。平氏の大黒柱となって戦うべき立場なのだが、源氏に追われて都落ち以後は一人厭戦的な気分に沈んでいた。
寿永三年(1184)三月一五日屋島を抜け出した維盛は、三人の郎党を連れて小舟で鳴門海峡を渡り、紀ノ川河口に上陸した。京に残した妻や子どもたちをひと目見たいと思ったが、さすがにそれは思いとどまり、高野山に登って滝口入道に会った。
そのとき維盛は「熊野へまいらんとおもふ宿願あり」と漏らしている。
高野山で剃髪した維盛は山伏姿になり、滝口入道を加えた一行五人は、熊野本宮へ向かった。御幸道は、中辺路を取るのが通例だが、熊野詣での路は、高野路・伊勢路・十津川路・北山路などもあった。
維盛らは、その一つの高野路をたどったのだろう、本宮社、速玉社、那智社と巡拝して後生を祈ったあと、浜の宮王子の前から小舟を出した維盛は、山成島の松ノ幹に自分の名を書き付け、浄土をめざして、春霞に煙る熊野の海へ入水するのである。「平家物語」に書かれているが、伝説として。
維盛の一行は、熊野を転々と隠れ住み、平家の隠れ里は、熊野に多い維盛の墓も3箇所あり、どれが本当か分からないが、現在熊野古道小辺路にある、奈良県野迫川村平に、維盛記念館がある、その横に維盛塚があり、今でも平家の追善供養が行なわれている。
護摩壇山には、維盛が平家再興を祈って、護摩を焚いたが、煙が高く上がらず地を這ったのを見て平家再興を諦めて平家隠れ里にて終わる。
平維盛は、熊野の各地をさ迷った末この地に眠るという伝説が熊野地方に多い。

滝口入道は、「平家物語」に登場する悲恋物語の主人公。
平重盛に仕える滝口時頼は、建礼門院に仕える雑仕、横笛に恋をするが身分違いとさとされ許されない。悲しんだ時頼は十九歳の身で出家、滝口入道となる、
やがて訪ねてきた横笛にも、心の動揺を恐れて会わず、横笛もまた出家して悲しみのうちに死ぬ「平家物語横笛」あるいは横笛は熊野詣のあと桂川で入水したとも。(異本平家物語)では、千鳥が淵に入水した、横笛の遺体を火葬に付してのち、滝口入道は、高野山へ入った(御伽草紙「横笛草紙」)とも伝えられている。