33松尾山 聖福寺

まつのおの やまのあらしも さむからで かねのひびきも よそにきこえて


心落ち着く満願の寺
白浜町堅田1211
0739-45-0162


本尊は、千手観世音菩薩。

心安らぐ寺です。

聖福寺
今から370年ほど前の寛永初期、諸国行脚の一人の青年僧が、足を留めたのが堅田の地「此処こそ我が修行と布教の地」と心定め、庵に投宿して修行に入りました。当初は無関心だった里人たちも、仏の無辺教えを説く青年僧の敬虔な姿と、他人のために身を挺して尽くす真心の明け暮れに、心がほぐれ信頼がまし、修行の場「法雲庵」と青年僧がかけがえのない宝、心の拠り所となっておりました。
この青年僧こそ、延宝5年(1677年)8月15日に生涯を閉じるまで、栄達を求めず、堅田の里人の中にあって、黒染めの衣で通し「偉くて優しい和尚さん」として慕われた、聖福寺草創「一株祖典禅師(いちゅうそてん)」だったのです。伽藍を整備し、法雲庵の後進となる聖福寺を創建するも、自分は開山とならず、師匠の夾山東寛禅師(かつさんとうかん)(1639年寂)を開山として請うているのも一株禅師の人柄が偲ばれます。

本当の自分を探しに
「物の時代は終わった、これからは心の時代である」と言われて久しくなります。しかし、その一方、おびただしい外界の情報の洪水に呑み込まれ、自己の主体というものを見失っている人々が多いこともまた事実です。
情報化時代に与えられた便利で真新しい世界を眺めているうちに、いつの取り巻く間にやら肉体は年をとってしまった。精神的な成長を見ずに、自己を取り巻く魅惑的な世界に関心をもってひきずられて入る内に、気づいたら年老いてしまっていた。そんな事が起こりうる時代です。
物が豊かになって何でも手に入ります、遊びに行くところもいくらでもあります、着るものもあります。毎日、買い物だ、おいしいものだと追い求め、快楽、快適世界に没入しているうちに、ともすれば自己を養うことを忘れてしまいがちです。
現代は、乗り物でも、情報でも、流行でも、といかく「早い」ものに価値が見出されています、その行き着く先はどこにあるでしょうか、私達は、今一度、じっくりと足元を見つめ、円満なる人格を形成すべき時に来ているといえましょう。

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山に降った雨が大地に染みこみ、大地は水を育て、水は山を作り、山は虫や鳥といった命ある者の営みを支え、そしてまた雨を降らす。長い年月の間に、個々の命はその終わりを迎えようとも、次の世代へと自らの命を伝え、その命の連鎖は今もなお続いています。日々の喧噪から離れて、熊野の奥深くに古より脈々と受け継がれている自然の命の息吹を感じるとき、自分もまた、その大なる命のひとつであることに気付かされるでしょう。
木には木の、虫には虫の各々の役目を持って、無心にひたすらに生きています。たくさんの命の繋がりのその先に、今の自分が存在していることを思うとき、自分はどう生きるべきか、何を成すべきか、静かに内面を見つめ直すことが出来るのでは、ないでしょうか。

渓声(けいせい)すなわち是れ広長舌(こうちょうぜつ)山色豈(さんしょくあ)に清浄心(しょうじょうしん)にあらざらんや。
~川の流れる音は、神や仏の声であり、山の緑は神や仏の姿です。~
谷川のせせらぎの音が、すなわち神や仏の途切れることのない親切な、ご説法であると言うことができます。山の青々とした緑の色、その姿が、すなわち神や仏のお姿にほかならないと言うことがだきます。これは、一人一人が実際に体験して感じとっていただく外ありません。幸いにして、熊野には、神や仏が住む大自然があります、草や木が、そのままの姿で私たちの心を安らぎに導いてくれます。
本当の自分を探しに、熊野曼陀羅霊場においでになりませんか。
熊野曼陀羅三十三番、聖福寺住職 関守研悟 合掌。写す

 

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