15薬王山 東光寺

南無やくし 守らせ給う 御身より くすりとなりて 出づる湯の胸


判官再生の湯 胸薬師の地
田辺市本宮町湯峰112
0735-42-0256


湯の峰温泉は、第13代成務天皇の御代に発見された、日本最古の温泉です。
インドから渡来の僧、裸形上人が熊野三山苦行のおり、民衆を病苦から救うために草庵をむすび、開基いたしました。

自然に湧き出る温泉は現在でも大変貴重な温泉です。

療養泉の人気高く、遠くから玉子持込。温泉玉子をこしらえ持ち帰る人が多い。

天田愚庵巡礼日記を松尾心空和尚が読む、(2)
湯峰温泉のこと、温泉の由来を尋ねると、この地,上古は熊野湯の原郷と称し、中頃、湯棟(ゆのむね)と云いしが、慶長の頃より湯峰と書き換えたり、成武天皇(せいむ)の御宇(おんう)、国造大阿刀宿禰(くにづこおおあとのすくね)、初めてこの湯を見出し、文武天皇以下、数朝の帝、臨幸多くあり、二十余度に及び。仁徳天皇の御宇、裸形上人と聞こえ給う尊者、湯壷の中に自然仏あるを見出し給いしを、後に弘法大師が殿舎を建て給いて、薬師堂と称し、その後天仁元年、鳥羽天皇、勅して再建し給い、天正18年、関白秀吉公またこれを再造し、寛永以後は幕府常にそのしを助くと記録に見え、別に鳥羽天皇の勅願に依りて建て給いし、二重の多宝塔、明治の初めまで歴然としてありしを、如何なる故にや、本宮の社人が打ち壊す、そのとき、里の者どもいかに保存せんと、嘆き止めしが力及ばず、この塔は、三間四面、古体にて尊きものなりしを、今はその跡もなし、薬師堂の傍らに、東光寺と云えるは、真言宗なりしが、その時廃寺と成りたるを、10年ばかり前に、那智の順孝法師が再建して、今は天台宗となりぬ。民家は慶長の頃、十二戸と云えど、現今は二十四戸あり、湯は三等に分かち、西は下等、湯槽二つ。中は中等、湯槽大き成るが一つ、小さきが六つ。東は上等。湯槽は一つ、小栗の湯と云う。湯銭は、上等二銭、中等は一銭五厘、下等は五厘なり、その他処々に熱湯、湧き出れども、湯槽なし、湯の効能は、金創(刀傷)皮膚病、胃弱など数々あり、

愚庵の日記より。亭主今日は旧暦9月一日なれば、薬師堂の開帳し給いては如何に勤める、去らばとて、先ず香を納め、礼拝するに、いと多きなる石像にて、温泉の湧き出る底巖根(そこついわね)より、湯の花の噴き上がりて、段々にこり固まり、年を経て石になり、自然の薬師仏の尊体を成せるなり、
東光寺には、古器宝物共、数多きあれども、廃寺の時に皆失せて、今はただ、平相国浄海入道(平清盛)の手書なり、紺紙に金泥(きんでい)と銀泥(ぎんでい)の交書(まぜがき)したる菩薩戒経、軸も飾りも取れたのが1巻。他に徳川柳営(幕府)の奥(大奥)より納め給いしと云う法華経、八巻の内1巻は失せて、7巻残りたる、菩薩戒経の金泥のつやつやしさ、筆勢のたけたけしさ、類をみないものなり、元は必ず目出度き表具してありしものなり。