05横尾山 尋馨寺

むかし見し いま来て三栖の古寺に 千手のちかい 後の世のため。


遊行上人ゆかりの寺
田辺市中三栖1761
0739-34-0601


尋聲寺は、千手観世音を本尊にする、曹洞宗の寺院です。
初代、弧舟禅師が創建されました。現在の本堂は平成9年に再建され、現代美術家による天井絵が奉納されております。

江戸時代には、時宗の遊行上人が熊野参拝のときには、常宿に利用され、近在から念仏札を求める為に周辺に泊り込みお迎えした記録が残っております。

寺の前は熊野古道の、近道潮見峠越えの街道です。

『無常ならざるもの』  (道元禅師)
生まれたものは死に、会ったものは別れ、持ったものは失い、作ったものはこわれます。時は矢のように去っていきます、すべてが「無常」で、この世において、無常ならざるものは、あるのでしょうか。
『どう生きるか』
生まれて死ぬ一度の人生を、どう生きるか、それが仏法の根本問題です。長生きすることが幸せでしょうか?そうではありません、問題はどう生きるかです。
『人生に定年はない』
人生に定年はありません、老後も余生もないのです。死を迎えるその一瞬までは人生の現役とは自らの人生を、悔いなく生き切る人のことです。
そこには「老い」や「死」への恐れはなく「尊く美しい老い」と「安らかな死」があるばかりです。
『ひとの価値』
人の価値は、地位、財産、職業、に関係ありません、知識、能力だけで人を評価すると、過ちを招きます。知識を生かす心と行いこそ大切です、人の価値は、心と行いから生ずるのです。
『最初の一歩』
何事においても、最初の一歩を間違えると、とんでもない方向へ行ってしまいます。仏道の修行は、自分が救われるためでなく、世のため、人のために尽くすことです。この請願から最初の一歩を踏み出しましょう。
『はきものをそろえる』
履物を揃えると、心もそろう、心がそろうと、履物も揃う、脱ぐときに揃えておくと、履くときに心が乱れない、誰かが、乱しておいたら、黙って揃えておいてあげよう、そうすればきっと、世界中の人の心も、揃うでしょう。
『正しい宗教』
自分の宗教を信ずるあまり、他の宗教をそしり、果ては憎しみ争うほど、愚かなことがあるでしょうか。
正しい宗教は、いつの時代にも、人々を照らし平和な生き方へと導くものなのです、宗教者同士が刃を抜いて、争うことなど、あってはなりません。
『修せざれば現れず』
「知る」ということと「わかる」こととは違うのです。知ってはいても、実行されなきれば、わかった事にはなりません。薬の効能書を読んだだけでは、病気は治りません、禅も実行して初めてわかることなのです。
『仏心の目覚め』
仏心とは、自分のことは、さておいても、世のため、人のためにつくそうという、心にほかなりません。自分を中心とするから苦しむのです、仏心に目覚めれば苦労も生き甲斐にかわるのです。
『大自然の恵み』
米も野菜も命です、肉も魚も命です、これらの命のお陰で、私たちの命も生かされています、「いただきます」「ごちそうさま」尊い命に感謝して、食事をいただきましょう。
『仏教の戒め』
生き物を殺さないと、みずからに誓います。与えられないものを、むさぼり取らないと、自らに誓います。浴するままに、みだらな行いをしないと、自らに誓います。うそをつかないと、自らに誓います。無明なる酒を飲まないと、自らに誓います。
『足ることを知る心』
貧しいことが、善でもありません。豊かなことが、悪でもありません。貧富にかかわらず、貧欲の心がおこるとき、人は美しい心を失います、仏心とは、足ることを、知る心のことです。
『仏法は座禅』
仏法は座禅です、座禅はお釈迦様の、お悟りの姿です。身を正し、息を整え、静かに座る、貴方も座ってみませんか、きっと何かが変わります。