04慶谷山 泉養寺

あみだぶと こころはにしに うつせみの もぬけはてたる こえぞすずしき


阿弥陀三尊座像(指定文化財)
田辺市中芳養1081
0739-24-6653


泉養寺は、西山浄土宗の寺で、今から4百数十年前、大正年間に侶空受言上人によって開祖されました。
本尊は、阿弥陀如来。 十念仏 ナムアミダブツを十遍 称える。

裏堂には、県指定文化財、阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の三尊像が安置されています。
この三尊像は鎌倉時代の作といわれ、元々芳養八幡神社の神宮寺にあったものが、明治時代に泉養寺に移された三尊像。

法然上人
法然が比叡山、黒谷の修行25年間終えて世間にでてきた法然は、たちまち脚光をあびる。世は源平争乱直後の時期だった。文治2年(1186年)法然は顕真(けんしん)天台僧にまねかれ、専修念仏について議論を戦わした、世に有名な「大原問答」である、法然は「いまの世にふさわしい教義は、ただ浄土門あるのみ,,,,,」と力説した。このころから法然の名声は高まり。前の関白九条兼実とその娘、宣秋(ぎしゅう)門院が法然の得度を受けて出家しその人気は絶頂に達した。親鸞の入門もこのごろだった。

高僧たちは、死についてどう考えていたか?
親鸞上人
親鸞は、「われ程なく浄土へ帰るなり、この世に言い置くこと一言もなし」の言葉を残していました。心を無心にして念仏を唱えれば、仏の力によって誰でも救われる、という主張を打ち出し、平生の念仏が大切と説き教えていたのです、親鸞は念仏を仏道の眼目におきまして、信仰があっても念仏を唱えなければ、信徒としては無意味ともいい、また、ひたすら念仏を唱えても、信仰心が浅ければ、死後に浄土へ生まれ変わることはむつかしい。だから、仏を信じて念仏を唱えれば、必ず浄土へ行けるとして、弟子に送った手紙にも、このことが書かれていたのです。こうした考えは、経典の「阿弥陀経」にある、浄土で会うという内容の「倶会一処の」理念であったのです。
書き物には、残さなかったのですが、家族、門弟たちには、これを語っていたのです。親鸞が87歳のとき門弟に送った手紙には、先に亡くなった門弟の覚信房も必ず、必ず浄土でお待ちのはず。私達は必ず浄土でお会い出来るでしょう。もし明年の10月、貴方が生きていらっしゃれば、この世でお会い出来るのは疑いないこと。しかし、あなたの信仰心は変わらないで、私が先立ったときは、浄土でお待ちしています、このことからも親鸞の死に関する考えかたをうかがいできるでしょう。親鸞は90歳の時、京都で死を迎えましたが、目を閉じたら「加茂川に入れてうお(魚)にあたふべし」との遺言を残していたのである。