03芳養八幡神社

人生五訓 あせるな おこるな いばるな くさるな おこたるな


石清水八幡ゆかりの神社
田辺市芳養803
0739-23-1770


芳養川流域一帯は、延久4年(1072)より、山城の国の岩清水八幡宮の荘園でありました。
承久3年(1221年)の承久の乱により、鎌倉幕府よい湯川氏が地頭として、任命されました。
その後次第に、湯川氏が地頭権限を拡大して、無理難題を住民に押し付け、所有地の強奪などにたまりかねた住民が、領主の岩清水八幡宮に訴えました。

領主は、荘園の治安維持と繁栄のため(正応2年、1289年)八幡神を勧請させると共に、楠本荘司(現在の宮司の祖先)を派遣して荘園を治めさした。

御主神は、八幡三神です。

岩清水八幡神は、歴代天皇に崇拝された国家鎮護の神
三神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)比咩大神(ひめおおかみ)息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
厄除開運・武運長久・勝運に乗る、神様です。

清和天皇の貞観元年(859年)に宇佐八幡宮を男山に勧請したのが始まりで、以来、急激な勢いで社格が高まり、ついには伊勢神宮に次ぐ「第二の宗廟」とまでなりました。そのころの荘園が芳養八幡が祀られた荘園です。
明治10年の明治天皇の行幸まで、歴代天皇が参詣が多いことで知られる。9月の岩清水祭りは京都葵祭、奈良春日祭り、男山岩清水八幡宮は、3大勅祭であります。この神がここ芳養にあり、流鏑馬が昔の面影を今に伝えております。

同じ境内に白竜伝説もあり、厳かな雰囲気の八幡宮です。

芳養の里
芳養は梅の里でもあります、芳養、中芳養、上芳養この一帯は梅の本場なり、ほとんどの木が梅ノ木と間違うほど植えられ、1月末から2月末まで里の匂いが梅一色なり、素晴らしい眺めが巡礼者に、生きる喜びを味わえる里なり。
巡礼する人が、静かな芳養の里風景に、昭和の農村を思いだす里です。

賽銭はなぜ挙げるのでしょう。

昔から祭りごとのあるときには、地の神にお供えものを上げる行事を行ったのが初めのようだが定かでないが、
米や、餅などをまく「散米」「散餅」の儀式を行った。それは、金銭のない時代のことで、日常生活に金銭を使うようになってからは、金銭がそれにとって代わった。
米や稲には、霊の力があると考えられており、その霊力で罪、けがれ、悪神をはらい、この悪霊を取り除くために、昔の人は、麻や木綿は貴重なものであったから、貴重なものを神に奉じて、神への崇敬を表したが、それに代わって金銭が用いられた。
さい銭には、罪、けがれを祓う気持ち、祈願が成就したことえのお礼、さらに、神を信仰し、崇敬する意味が含まれ、金銭の多少は問題でなく、神に感謝をする気持ち、崇敬する心が大切です。神の霊力にあずがり、奉じるものである。私利私欲のない純粋な気持ちからの、賽銭でありますことが大切です。