熊野曼陀羅の意味


熊野曼陀羅の意味

古代から、神仏習合の本地垂迹信仰(ほんじすいじゃく)信仰が熊野詣での特徴です。
那智山に伝わる那智曼荼羅など三山にそれぞれ曼荼羅があります、この曼荼羅と仏教の曼荼羅などを、区別する意味で、あえて曼陀羅模様の曼陀羅といたしました。
まんだら、マンダラにも言葉の意味が隠され、大変で曼陀羅は自由に使えると思い、使用しました。

三十三の意味
観音霊場には、「法華経」のお経の中に、観音経があり、観音様が慈悲の心で三十三に、変身して衆生をお救い頂くありがたいお経から、三十三観音霊場が生まれたといわれます。

熊野は数字の中で1番多い数は、9です、この数を重ねて99となると数字の数より古来の人は、無限の数、数えきれない数、すなわち九十九曲がり、九十九島、九十九里浜とか、この熊野にも九十九王子があります、我々が好む数3は、1なら平面です、2は立てと横の関係です、3はもうひとつ立体という面が現れます、すなわち3次元、この我々が生活している3次元です。
この3を並べて三十三として無限に広がる我々の、欲望を、正しく導き、わかる世界を悟らせたまえと念じ歩む道です。三十三観音の慈悲と熊野大権現の導きが、巡礼する人々を守り、幸せを授けて、巡礼者にわかりやすく幸徳を、教えてくださいます。

熊野修験者本宮大社。左から三番目が、熊五郎です。

 

 

01闘鶏神社 千早振る 神の誓いの つきせねば 国も豊かに 御代ぞ久しき。


源平合戦ゆかりの神社
田辺市湊655
0739-22-0155


闘鶏神社の社伝によると、第19代允恭天皇(いんぎょうてんのう)8年(419年)9月熊野権現(現熊野本宮大社)をこの地に勧請し、田辺の宮として奉ったのが起源です。
白河法皇のときに熊野三所権現を勧請し、熊野三山参詣に替えられたと伝えられます。
そして近衛院、久安3年(1147年)熊野別当湛快のときに、天照皇大神以下11神を勧請し、新熊野権現と称して祀られました。
このように、三度にわたり熊野三山(本宮・新宮・那智)各社の御祭神を勧請し、熊野権現の一翼を担い、
熊野街道(大辺路・中辺路)の分岐の重要地としての田辺に、鎮座されました。

この社名は、熊野別当湛増が、源平合戦に臨んだとき、源氏,平氏のどちらに味方するかを占うために、紅白の鳥を戦わせたという故事にちなんで、新熊野鶏合大権現の名が生まれた。
明治維新の神仏分離令により、闘鶏神社と改称されました。