神道の歴史


わが国では、旧石器時代に始まって、縄文、弥生といった先史時代に前期の要素が基盤となって、原始宗教が次第に形作られていった。
ついで歴史時代に入ると、社会形態の整備に伴い、神話。伝統が形成され、是にまつわる神様が登場してきます。いわゆる記。記に描かれる世界ですが、このころから新しく入ってきた外来文化である仏教や儒教への対応という意味もあって次第に理論化されて、神道としての形が整えられていきました。
平安時代に入ると神道信仰と仏教信仰が融合させられる、神仏習合、神は仏が日本に現れた、仮の姿であるという、本地垂迹思想などが一般化しました。
アリの熊野詣での出発点です。
また反本地垂迹説(神が本で、仏が末、垂迹思想の反対が登場したりもしました。
鎌倉時代に入ると、神道教理の研究が盛んになり、伊勢神道。日吉神道。御流神道などの教派が起こってきました。これらの神道は、それぞれ陰陽五行説や仏教の教義に基いていたりして、純粋性には欠けていましたが、日本の精神文化に対する研究が土台という要素をもっていました。
その後江戸時代中期に、本居宣長が古学神道を大成しました。「古事記」「日本書記」「万葉集」などの古典を文献学的に研究し、儒教や仏教といった外来思想の流入以前の、日本固有の文化や精神を明らかにしょうとする国学を体系づけ、この研究を通して古神道を整理して古学神道としてまとめました。
やがて幕末を経て、水戸学と国学を思想的背景として明治維新は神道を重んじこれを国教化しょうとしました。
近代化への一歩を踏み出したばかりの日本にとっては、先進西欧諸国の帝国主義的圧迫に対抗するために、国民に精神的な背景をもたせねばならぬという判断からでたものでした。
その為に、時の政府は、国学を基盤とする古学神道(=神社神道とよばれる)を天照大神を租として体系づけられていた皇室神道と組み合わさり再編成しこれを国家の保護下においたのです。
これを国家神道と呼びます。宗教としての神道の各教派を総称する教派神道と区別しています。
この結果、外来思想ともいうべき仏教を神道から分離しょうという。神仏分離政策がとられ、極端な廃仏毀釈運動が起こりましが、明治政府の仏教圧迫政策は長続きせず、明治八年以後には、また従前のように仏教の布教も自由になりました。
第二次大戦後、国家神道は、軍国主義、国家主義と結びつき、天皇制支配の思想的支柱となったとして解体された。
なお、先に挙げた教派神道というのは、明治のはじめに存在した教派のうち、おもな十三派をさすのが普通です。
この神道十三派には、修成教・大成教・神習教・神理教・神道本局など、古学神道の流れを継承しているものの他、富士山を信仰対策とする扶桑教。実行教。御嶽に参ることを目的とする、御嶽教のように、山岳信仰を基盤とする講の発達させたものがあります。また、十三派とは別に、強烈な信仰体険をもつ教祖の手によって開祖された、禊教・黒住教。金光教などのように、学問的というよりは、土俗的、民俗的な出発点をもつ教派もあり、これらのほとんどが神道の系列に包括されています。

仏教と神道が、私達日本人の社会で広く一般的に受け入れられてる宗教であることは、周知のとおりです。
もちろん、キリスト教を信仰する人もいます。今日、日本におけるキリスト教信者は人口の数パーセントにも達しないと見込まれています。
キリスト教が伝来したのは1549年、今から400年以上たっています。
イスラム教にいたっては、日本人信者は数えられるほどです。また儒教は、日本人に大きな影響をおよぼしてはいますが、宗教という概念でとらえにくい面もあって、日本人の信仰、或は宗教問題を考える場合、やや考え方、扱い方の上からは除外されるようです。
日本人の宗教意識という意味では仏教と神道の二つが中心と考えて良いといえるでしょう、この二つは、本来異質のものであるにもかかわらず。ある時期には、神仏習合のような信仰形態を生んだりもしました。

まず第一は、神道が、日本民族が形成されて以来。アニミズムや祖先崇拝から始まった、日本固有の信仰形態、民族宗教であるのに対して、仏教は、インドに発祥して中国、朝鮮を経由して入ってきた外来宗教であるという違いがあります。
神道の自然物崇拝・農耕儀礼・祖先神崇拝・神社の形成=神社神道の成立。天皇家の祖先僧拝の祭儀から体系化された皇室神道、その他の教派神道、国家神道というように幅広いものがあります。
そして基本的に、神道全体を貫く統一的な教理は持っていません。また、その意味で、開祖も存在しないといえます。もっとも教派神道の中には、特定の教祖や指導者が、独自の教義、教理をまとめて体系化していったものもありますが、神道全般に通ずる開祖・教祖・教理はもたなかったのです。この点は、仏教が釈迦牟尼によって開祖されたものであることと、大きく異なっています。
仏教では、法の当体を法身
仏=毘盧舎那仏。密教では大日如来として立て、いわば至高の存在、唯一絶対無二の権威として考えます。そして如来以外、諸尊はそれぞれその性格や役割の上で、バラエティー豊かな個性をもっています。
神道では、文字通り八百万(やおよろず)の神々などです。天皇家が祖先を祀るべく体系化された皇室神道では、祖神として天照大神を中心としますが、神社神道などでは祭神としては、実に色々な神を祀っています。
天照大神はすべての神道の世界における、全智全能、唯一最高の絶対神ではないのです。日本の神々は、「言挙げせず」の言葉どおり、自らの存在を、声を大にして宣伝せず、布教も行いません。常に社殿の奥深く鎮座しているだけです。
人間が神を祀り。奉仕する場面においても、鏡や木「榊」岩盤などを憑依(ひょうい)としてのみ、人間と交流するのが日本の神々です。
日本の神々は、およそ実態的、実在的な姿を人間の前に現すことはありません。
その意味では、観念的な意味合いの強い信仰対象だともいえるでしょう。
そしてこのことは、神の彫像・画像=仏像に対する神像の類の作例が極めて少ないという点です。
熊野速玉神社の神像は、代表的な神のすがたです。