【西国の起こり】
平安末期、三井寺前大僧正行尊師(保延元年一一三五年没
は長谷寺を一番として打ち始め、三室戸寺を三十三番として
三十三所巡礼されたことが「寺門伝記補録」 に記載されてい
ます。また三井寺覚忠師は応保元年(一一六一年) 一番を那
智として打ち始め三宝戸寺で終わったことが同書に記されてい
ます。鎌倉時代に入り熊野詣でが盛大となり那智を一番、
谷汲を三十三番とする現在の順序が定着したのです。
大先達赤井熊五郎がみなさんと一緒に西国三十三箇所・熊野曼荼羅(まんだら)をめぐります。